より上を目指す学生の為のブログ

外銀マンが上を目指す学生に送りたいメッセージ

日本の大学で教育はお金の為。イギリスの大学では学生の為。

今日大学でちょっとしたことがあった。今学期も残り3週間なのだが、ひとつの科目の全ての範囲をカバーできそうにない。そこで教授が予定より早く進んでる科目の教授に授業の枠を譲ってもらうよう頼んだそうだ。

 

こんなことって日本の大学ではありえるのかと思った。前回の記事で書いたように日本の大学の教員は学生をただの金儲け(教科書を売ることで)の道具としか考えてないのだろう。だがイギリスでは生徒がまともに指導を受けた状態で試験に挑めるよう教授が余計に授業をしてくれる。

 

それは何故だろうか。教授は無償で余計に授業を行うことになる。でもイギリスの大学で教授がそういったことをするのは当たり前だ。喜んで指導してくれる。突然オフィスに訪れても歓迎してくれ、何かを理解するまで話を聞いてくれる。勉強と関係なくても話してくれたりする。

 

日本とこれまでも違う理由は一つ。イギリスでは生徒の試験結果が悪いと仕事がなくなる。企業も大学で勉強するようなことくらい普通にできる前提で生徒を採用している。即戦力にならないにしても、簡単な計算や設計て移動なら新卒でもやらされる。それくらいができるような人材を育成するには大学側が本気で生徒の将来を考えて動かないといけない。

 

こういったことがないから日本では新卒が雑用として使われてしまう。だからお金がなかなか使えない今、企業は新卒を採用しようとしたりしない。戦力にならないからだ。どうせ誰でもできる雑用をやるだけになってしまうからだ。「就職氷河期」ではなく「人材氷河期」だと言われてる今では、大学がもう少しまともに学生と向きあえばより質の良い生徒が生まれるのではないか。

 

だからファーストリテイリングなどは、大学なんて使えないと判断し、一年生で内定をだしてしまう。大学に通いながら店でバイトをし、卒業と同時に店長になるということだ。大学で有意義な経験なんてできないと判断し、大学在学中の時間を人材育成に使うという素晴らしいアイデアだ。

 

もし大学がこのまま何も変えずに行ったら、こういったことを始める企業が増えてしまうだろう。そうなったら大学なんて意味がなくなる。本当にただ「良い大学を卒業した」というだけになってしまう。それなら高卒生に対しに大学受験に似た試験をやらせてそれらを採用したほうが良いではないか。そうなったら大学の存在の意味がなくなってしまう。

 

問題は教員にあるわけではない。教員が研究ではなく教育に力をいれることにメリットなんてないからだ。大学側が研究以外にも力をいれるような方針をとらない限り何も変わらない。本当に海外に見習うべきだ。

日本人が世界で通用しない本当の理由は教育システムにある

日本の教育システムは間違っている。底から間違っていて、日本人は進展国の中では一番勉強する割に全然何も身につかないのではないか。客観的にみれば誰もがおかしいというだろう。受験前は一日16時間勉強し、頑張って「良い学校」に入ろうとする。だがそういった所に行くものの、「もう将来が約束されている」といい、そこから何も得ようとしない。せっかく「良い大学」に入ったのにFラン大学と同じ生活をするなら大学なんて時間の無駄ではないか。

 

では何故その為にこれだけ必死に勉強するのか。それは日本が学歴社会であるからだ。それがこの非常に効率の悪いシステムの原因だ。早慶や東大を卒業すれば、就職できる社会だったからだ。日本というのは受験で成功した者が良い未来を期待できる、がそれはおかしいのでは?何千時間と机に向かって勉強した者が良いとされる社会であるが、果たしてそういった者が一番優秀なのか。

 

日本では一番何でも身に付く頃に、子供は勉強させられる。自分がやりたいことなんてわからないけど、とりあえず大学に入って就職できるようにと必死に勉強させられる。学校に行き、塾に行き、帰って勉強しては寝るといった世界つを繰り返し行うのが日本の典型的な学生だ。そのまま何がやりたいかもわからないまま、医学部、法学部、経済学部、工学部等をみんなが志望し、大学でまともに勉強もせず遊んで卒業する。基本的に学生時代に何かを達成する人なんて殆どいない。子供のうちくらい、好きなことに触れて、好奇心旺盛なうちに何でもやってみて自分のやりたいことをみつけるべきだ。

 

だが、実際はそういった人達が今度は社会に出て、自分で何もできない「ゆとり世代」というレーベルを貼られる。ただそれは何も自分でやる機会が与えられてない学生が悪いわけではない。一日16時間勉強しないとある程度の収入のある仕事に就けることができない社会があるからではないか。イギリスやアメリカでは高校で一日2時間以上勉強することなんてないだろう。試験前はもう少し時間かけたりするかもしれないがそれでも1ヶ月くらいの期間集中てきに一日5時間程度だ。だがイギリスやアメリカは充分日本と競えるレベルの人材がいる。むしろ最近は日本が負けている。

 

それはなぜだ。実際高校までに勉強してたことを実際に社会にでて必要としたことはあるか。因数分解をすることなんてあるか。江戸時代が何年から何年か知ってて得したことはあるか。そこが問題だ。高校までは基本的に全員が同じ勉強をする。でも因数分解なんて普通の事務職につく人なら必要ない。江戸時代なんて歴史の教師でもしない限り知らなくて困らない。なのに国民一人一人にすべてを覚えさせるからいけないのだ。それだけではない。受験のために必死にありとあらゆるものを暗記した後、すぐに忘れてしまう。何の意味もない。受験なんていうのはただどれだけの物を短期的に暗記できるかだ。まったく必要のないスキルである。得られるものは精神的な忍耐力が上がるくらいだ。社蓄だらけの日本には使えるかもしれないがそもそもそんな社会は間違っている。一日20時間働いて質の良いサービスや商品が提供できるわけない。だから海外に負ける。

 

因数分解も社会学も文学も、やりたい人ができる環境があればいい。工学部を志望するなら数学を勉強できるような環境があればいい。もちろん最低限の勉強は学校で行うべきだ。だが受験で志望する学部で勉強する内容に全く関係ないような科目で点を競い合うのはどうかと思う。専門職に就きたい人間なら限られた数の科目で高い点を取れる方が余程貴重だと思う。日本は魚の飛ぶ能力で判断してしまう。

 

海外ではどうだ。「脱ゆとり」でもなんでもない!優秀な人材を育成するには? でも説明したように、イギリスやアメリカの中高生は遊んでばっかりだ。もちろん何も勉強しないわけではないが日本人の十分の一もやらないだろう。それなのに数百年の歴史しかないアメリカがどんどん日本を追い抜いていく。古い考え方にとらわれているからだ。世界は動いているのに日本は必死に今までのやり方にしがみつく。

 

その理由は教育システムにある。イギリスの高校最後の二年間は、高校で3つの科目しか勉強しない人がほとんどだ。イギリスでは入学試験がないため、高校の成績で大学の合否が決まる。日本は大学生でもイギリスの高校生より多くの科目をとることになる。日本の学生が勉強に使う時間がそれだけ無駄なのだ。イギリスの大学は日本と違い通常3年で卒業できる。大学院で修士課程をとるにしても日本と違い1年だ。日本の教育はそれだけ効率が悪い。

大学もクオリティーが悪いからどうしようもない。最近聞いて驚いたのは、日本の大学では教授が自分の書いた教科書を生徒に買わせるために持ち込み可にして、教科書で答えがわかるような問題をたくさん出すという。教育の場であるはずなのに、教授はただ生徒を金儲けの道具としてみているだけだ。イギリスでは絶対に自分の教科書を買わせたりしない。大学の教授が書いた教科書も20冊くらい大学の図書館で借りれるし、教授もあえて他の人の書いた教科書を進める。教授がまとめたノートも配られ、特別不得意な科目でない限り配られたノートだけで充分良い点数がとれる。

 

日本人はもっと海外に触れるべき。それは日本にいてもできることが。ネットがある時代なら、海外の考え方になんていくらでも触れることができる。鎖国的なこの国でも今はネットで世界につながっている。海外に触れることのない人が殆どだから、日本のどうしようもない実態を目の前にしても何とも思わない。普通になってしまっているから。だから日本が良い悪い言う前にまず海外がどうか知ることから始めるべきだ。みんなが海外の実態をわかれば、日本に合った解決策があるはず。海外を真似するだけではなく、海外に見習い独自のシステムを築きあげるべきだ。

 

我々は失われた20年でできなかったことを今からどんどんやって他の国に追いつくしかない。日本人はこんなに勉強する必要なんてない。もっと子供に色々な経験をさせ、遊ばせるべき。自分で学べるような社会を作るべき。中途半端にそういったことをするから何もかもが中途半端になる「ゆとり世代」が生まれてしまう。そこで文句を言い元に戻すのではなくもっとまともな人材を作れる社会を作るのが我々の役割だ。

「脱ゆとり」でもなんでもない!優秀な人材を育成するには?

今日の読売新聞の記事であった(こちら)、学校の週6日制について。ゆとり教育により学力低下を土曜日にも授業を設けることで改善することが検討されている。

 

ただ週6日制にするだけで良くなるのか。元々週5日制にした理由が「子供が家庭や地域で過ごす時間を増やし、ゆとりの中で社会体験や自然体験をさせる」ことだったが実際そういった目的で時間を使う子供がいなかったとのこと。でも実際社会体験や自然体験をする機会というのは子供に与えられていたのか。そういうことをできる時間を与えても機会が無かったら何も変わるわけ無い。ただ学校の時間を減らすだけで子供がそういったことをやると思っても無理がある。例えば、会社が週4日制に突然なったとして、自ら増えた休みを仕事に使えるスキルを磨くために使う人は何割いるだろう。学校を週6日制から週5日制にするのも同じ。子供はその時間を遊ぶことに使うとしか思えない。社会体験などをさせたいならIBでのCASの様に、好きなことでいいから色々な体験を必須とするようにするなど方法があるのではないか。

 

CASとは、"Creativity Action Service"の略で、インターナショナルバカロレア(IB)のディプロマを取得する全生徒がやらなくてはならない。インターナショナルバカロレアディプロマは今海外で注目を浴びている高校のカリキュラムで、大学受験にはIBでの成績で選考されることが多い。このディプロマを取得するのに試験の成績以外にCASを修了する必要がある。これは、学問以外で色々と学生に取り組んでもらうために、何かクリエイティブなこと(Creativity)、運動等体を動かすこと(Action)と何か人のためになること(Service)を合計150時間やり、記録すること(写真、日記等を通して)を必須としている。これを通し子どもたちの支援に行ったり、町中で募金活動を行ったり、新しいスポーツをはじめたり、楽器を習ったりなどということを生徒はする。学力を上げるのではなくてこういったことを子供にさせることが目的なのではないか。以前にもどるのではなく、こういったことを国は考えるべきだ。

   

以前の日本の教育が今でも通用すると勘違いしている人が多い気がする。世の中は発展していってるのに、こうやって以前の様にもどそうとするなどするから日本は遅れてしまう。以前、母親は海外移住し、英語の家庭教師をつけていた。その時家庭教師が言っていたのは、「トニー・ブレアでも君(母親)ほど勉強していないだろう」ということだ。それは確かだと思う。日本の受験勉強ほど時間の無駄遣いは無い。これは海外で育った日本人の誰もがいうことだ。日本が以前の教育でここまで成長したのはただ戦後はまだ色々な技術が発展する前で、働く量が世界一の日本が単に仕事の量で勝っていけたからではないか。松下電器やSONYの様な会社も、家電の機能と性能を良くしていくだけで勝てる時代だったからではないのか。教科書通り、マニュアル通り、言われた通りにしかできない日本人は負けていってしまう。学力が低下は事実であるが日本が世界に追いついていけない理由は学力ではないと思う。

 

学力は低下しているかもしれない。でもそもそも学力向上が目的なのか?教育の目的がずれてる気もする。教育の目的はテストで点数を稼げる人間を育て上げることではないはず。いずれ日本を背負っていくことになるであろう子どもたちが成功する為に必要なスキルや知識、そして経験を与えることではないのか。例えば米国での教育は日本のと全く違う。週5日制であり、塾に通う子供なんていない。学校の外で先生をつけるにしても学校だけでは足りないと感じる子が家庭教師をつけたりする程度だ。例えばハーバードの法学部に入学するのに中1レベル以上の数学は必要ない。大学受験するに至って受けなくてはならないSATの数学は、日本の小学生でも満点がとれるほど簡単だ。でも日本の社会人は明らかにアメリカに負けている。以前は日本の発展が凄かったが今は世界が必要としているものは違う。

 

私立の学校は土曜日に授業を行うことで学力格差ができてしまうということを問題視しているのもおかしい。学費の高い私立校に通っていて気づいたのが、経済的に難しいのに親が教育熱心で頑張って子供を私立に送ってる子の方が成績は良かったということだ。親の育て方が大切だと思う。「教育は学校の責任なんだから学校がちゃんとするべき」と言い、何もしない親に育てられて成長するのか。自分が学生だから言えることだが、いくら良い学校に通っていても子供にやる気がなかったらどうしようもない。私立でもどうしようもない奴らはいくらでもいた。子供は勉強の必要性なんて本当に理解できるわけないからそこは親が子供が勉強するよう指導することが大切だと思う。

 

自分も勉強なんてしなくて良いならしなかった。小学校から高校に至ってインターナショナルスクールに通っていていつも日本の学校に通うより余程楽だと感じていた。自分は学校が良かったからではなく親の影響で勉強してきた。元々は親から離れて一人で暮らしたくて海外の大学に行きたいというだけの理由だった。でもイギリスの学費は日本の私立大学の2-3倍の学費がかかるわけで、本当に良い大学に受からない限り行かせてもらえないということだった。「勉強しろ」って言われたってする理由はみつからなくても、親が払うお金なんだからそれに見合った物の為にしかださないということくらいは中学生でも理解できる。親がこうでなかったらあの環境で自分が真面目に勉強したとは思えない。ただ私立のお金を出す親は、教育というのはそれだけの価値があると感じているはず。そうであれば子供の教育を大事にすることで自然と子供の勉強に対する姿勢が変わると思う。学校がいくら頑張っても変えられないことはあると思う。

 

授業が増えたってやる気が無い人は授業なんて聞いてない。授業を増やした所でやる気のない子たちは退屈な時間が増えるだけ。学力を伸ばすなら子供に勉強する理由を与えるしか無い。昔は体罰だった。簡単な計算問題を間違えた数の分だけ叩かれるなど理由があった。昔は外で遊んでる時間以外は家であまりすることが無かったというのもある。ゲームやテレビが普及することでそれらに使う時間が増えてるというのも事実だ。単に授業の数を増やすだけで解決しようとしても何も進まない気がする。

 

言いたいのは、単に週6日制にしただけでは意味がないということ。学力が全てではないということ。これはゆとり教育が良いと言っているわけではなく、改善方法が間違っているのではないかということ。社会体験や自然体験をさせることが目的だったのなら何故そういった機会を与えるために国は動いてくれないのかということ。日本は学力とかにこだわるのをやめて人材の質を良くするために動いたらどうなのか。

 

最近AO入試を導入している大学が増えても、学生も「AHO入試」と馬鹿にする人達がいるくらいだ。学生も本当に社会人になるに至って大事なのか理解していない証拠だ。実際普通の総合職についた時、古文を読んで理解できるスキルなんかより、慶應湘南藤沢のAO入試で合格するくらいのプレゼンのスキルの方が使えるのではないか。

 

これらのたくさんの問題があるなか、週6日制にすることで得られるのは小さな学力向上だろう。日本の将来が暗い中できることがたくさんあるはず。授業を数時間増やすだけでは何も変わらない。成績を変えるのではなく人材をを良くするべきだ。