より上を目指す学生の為のブログ

外銀マンが上を目指す学生に送りたいメッセージ

大学入試にTOEFLや理数を必須化!?こんな無意味なことはない

この記事が昨日の産経ニュースにあった。簡単にまとめると、日本の教育を再生するために、大学の入試や卒業の条件としてTOEFLや理数科目を必須にすることで「世界最高水準の学力を実現」するとのこと。英語教育、理数教育、情報通信技術教育(ICT)を「教育再生3本の矢」とするとのこと。

 

一言で言うと無意味でお金の無駄だ。児童や生徒にタブレットPCを配布するために1兆円ほどを投資するとなど論外。海外では最近生徒にパソコンなどをもたせることでより効率よく教育をしているところが増えているというのは事実だ。ただ、「情報通信技術教育」とかいうことを言っている時点で完全に間違っている。教育ではパソコンを一つのツールとして使うから意味がある。自分でネットで情報を得て自分なりの考えをまとめて議論する、たくさんの情報を扱う現在の社会で情報をまとめるためにパソコンを使ったいり、プレゼンをするためにパワーポイントを使うなど、一つのツールとしてパソコンは使われているのだ。それを、ただパソコンをもたせ、「情報通信技術教育」なんて名前をつけている時点で、目的が違う気がする。

 

パソコンの使い方など学校では習わない。自分もノートパソコンを14歳の時から持たされる教育を受けてきたから言えるが、ワープロが使えて当たり前、リサーチが自分でできて当たり前、プレゼンをしろと言ったらパソコンでスライドショーを作るのが当たり前。そんな教育を受けてきた。

 

前の記事にも書いたが、必須科目なんて物自体がおかしいというのもある。とにかく、日本の教育は悪い方へ悪い方へと動いている。必要なのは必須科目でもパソコンの技術でもなんでもない。現に社会で仕事にパソコンを使う人は使えている。問題はパソコンとかではない、理数教育がなってないからでもない、英語ができないからではない。この提案を反対する理由に日本史の勉強が必要だとか言っている人は論外だ。

 

 大学でやることを変えても無駄。日本の大学は学生を教育するという一番大事であるはずの目的を果たしていない。それはカリキュラムや必須科目を変える程度のことで治ることではない。教育システム全体を位置から作りなおすしか無い。それは「良い大学に行き良い仕事をみつけること」を目的とする社会を「好きなことをやっていくために必要な知識や経験を少しずつ身につけ成長していくこと」を目指す社会をつくらなくてはならない。

 

そのために必要なのは大学を変えることではない。現に大学自体はあまり問題ないはずだ。必要なのは、大学に入ることを目的とする社会を変えること、大学の後に就職するのに成績をもう少し重視すること、企業側も即戦力を探すことだ。企業も入社してから必要な知識やスキルを身につければいいという体制をとるから学生も大学で勉強するメリットがない。大学が変えるべきなのはもう少し成績に学生がこだわるようなシステムを作ること、そして成績だけで学生を選ばないこと。

 

海外での大学受験は就活のようだ。面接もあればエントリーシートのようなものも書かされる。就職の際に大学をみられるのと同じように成績も考慮されるがそれだけではない。だから受験のプロセス自体も将来役に立つようなことなのだ。日本の大学はもう少し社会人になるに至って必要な経験を与えるべき。現在はただステータスのために存在するだけ。英語が足りないとか理数教育が必要とかそういう問題ではない。みんなにもせめて政府がおかしいということくらいは理解して欲しい。